100|川田順『愛国百人一首』

愛国百人一首

 

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 新羅の城砦に立って日本へ向い領巾を振った烈婦の歌から、明治の大君の御あと慕いて自刃した軍神の辞世まで、忠君愛国の短歌一百首を選び、仮りに「愛国百人一首」と名づく。日本精神の言葉の花は、その背景なる歴史的事件と相まって、一巻の絵巻の如く繰り展げられるであろう。日本歴史の一冊を座右に置きながら、この「百人一首」を読んでいただきたい。1941年(昭和16)の名著復刊。

- 書  名:愛国百人一首

- 著  者:川田順

- 仕  様:四六判(190 × 129 × 5.3ミリ)120頁

- 番  号:978-4-86763-023-5

- 初  版:2024年3月27日

- 定  価:1,998円+税

目  次

一 大葉子(韓国の城の上に立ちて大葉子は)

二 柿本人麻呂(大君は神にしませば天雲の)

三 小野老(青丹よし奈良の京は咲く花の)

四 笠金村(もののふの臣の壮士は大君の)

五 大伴旅人(八隅知わが大君の御食国は)

六 高橋虫麻呂(千万の軍なりとも言挙げせず)

七 海犬養岡麻呂(み民われ生けるしるしあり天地の)

八 雪宅麻呂(大君のみことかしこみ大船の)

九 橘諸兄(ふる雪の白髪までに大君に)

一〇 大伴家持(敷島の日本の国にあきらけき)

一一 丈部造人麻呂(大君のみことかしこみ磯に触り)

一二 大舎人部千文(霰降り鹿島の神を祈りつつ)

一三 今奉部与曾布(今日よりはかへりみなくて大君の)

一四 文屋康秀(草深き霞の谷に影かくし)

一五 在原業平(忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや)

一六 菅原道真(海ならずたたへる水の底までも)

一七 大中臣輔親(祖父父うまご輔親三代までに)

一八 源経信(君が代はつきじとぞ思ふ神風や)

一九 高倉一宮紀伊(何事につけてか君を祈らまし)

二〇 源通親(朝ごとにみぎはの氷ふみわけて)

二一 藤原良経(わが国は天照る神のすゑなれば)

二二 源実朝(山は裂け海はあせなむ世なりとも)

二三 鏡月房(勅なれば身をば寄せてきもののふの)

二四 藤原家隆(何か残る君が恵の絶えしより)

二五 大納言経任(勅をして祈るしるしの神風に)

二六 中臣祐春(西の海よせ来る浪もこころせよ)

二七 宏覚禅師(末の世の末の末まで我が国は)

二八 藤原俊基(いにしへもかかる例をきく川の)

二九 源具行(帰るべき道しなければこれやこの)

三〇 花山院師賢(思ひかね入りにし山をたち出でて)

三一 菊池武時(もののふの上矢の鏑ひとすぢに)

三二 粟田久盛(植ゑおかば苔の下にもみ吉野の)

三三 楠木正行(かへらじとかねて思へば梓弓)

三四 北畠親房(かた糸の乱れたる世を手にかけて)

三五 北畠守親(みちのくの安達の真弓とりそめし)

三六 四条隆俊(君がため吾が執り来つる梓弓)

三七 藤原光任(思ひきや山路のみ雪ふみわけて)

三八 藤原師兼(わが君の夢には見えよ今もなほ)

三九 足利成直(神路山いづる月日や君が代を)

四〇 源頼武(引きそめし心のままに梓弓)

四一 北畠顕能(いかにして伊勢の浜荻ふく風の)

四二 二条為忠(君すめば峯にも尾にも家居して)

四三 花山院長親(神の代の三種のたから伝へます)

四四 太田道灌(二つなきことわり知らば武士の)

四五 森迫親正(命より名こそ惜しけれ武士の)

四六 三宅治忠(君なくば憂身の命なにかせむ)

四七 中村文荷斎(ちぎりあれや涼しき道にともなひて)

四八 豊臣秀吉(唐土もかくやは涼し西の海の)

四九 細川幽斎(日の本の光を見せてはるかなる)

五〇 新納忠元(あぢきなや唐土までもおくれじと)

五一 是斎重鑑(異国もしたがひにけりかかる世を)

五二 板倉重昌(あらたまの年にさきだち咲く花は)

五三 大石良雄(あら楽し思ひは晴るる身は捨つる)

五四 僧契沖(わたつみのその生みの子の八十つづき)

五五 荷田春満(踏みわけよ大和にはあらぬ唐鳥の)

五六 賀茂真淵(もろこしの人に見せばやみ吉野の)

五七 本居宣長(さし出づるこの日の本の光より)

五八 平田篤胤(思ふこと一つも神に務めをへず)

五九 橘曙覧(君と臣品さだまりて動かざる)

六〇 大国隆正(仇と見るえみしが伴を末遂に)

六一 白河楽翁(青柳の糸のみだれを春風の)

六二 徳川治紀(梓弓八島のほかもおしなべて)

六三 水戸烈公(敵あらばいでもの見せむ武士の)

六四 林子平(伝へてはわが日の本のつはものの)

六五 高山彦九郎(われを我としろしめすかやすべらぎの)

六六 蒲生君平(比叡の山みおろす方ぞ哀れなる)

六七 村田清風(しきしまの大和心を人問はば)

六八 藤田東湖(八千矛の一すぢごとにここだくの)

六九 梅田雲浜(君が代をおもふ心の一すぢに)

七〇 頼三樹三郎(吾が罪は君が代おもふまごころの)

七一 吉田松陰(かくすればかくなるものと知りながら)

七二 有村蓮寿尼(雄々しくも君に仕ふる武士の)

七三 佐久良東雄(飯食ぶと箸をとるにも大君の)

七四 児島強介母(天皇に身は捧げむと思へども)

七五 是枝柳右衛門(隼人の薩摩の子らの剣太刀)

七六 田中河内介(大君の御旗の下に死してこそ)

七七 松本謙三郎(君がためいのち死にきと世の人に)

七八 伴林光平(君が代はいはほと共に動かねば)

七九 平野国臣(吾が胸の燃ゆるおもひにくらぶれば)

八〇 佐久間象山(梓弓真弓槻弓さはにあれど)

八一 久坂玄瑞(執り佩ける太刀の光はもののふの)

八二 真木保臣(一すぢに思ひいる矢の誠こそ)

八三 武市半平太(年月は改まれども世の中の)

八四 野村望東尼(誰が身にもありとは知らでまどふめり)

八五 遊君桜木(露をだにいとふ大和の女郎花)

八六 岩倉具視(ふるばかり亜米利加船の寄せば寄せ)

八七 三条実美(大君はいかにいますと仰ぎみれば)

八八 佐佐木弘綱(橿原のひじりの御代のいにしへの)

八九 玉松操(えみしらが息吹に曇る月みれば)

九〇 江藤新平(ますらをの涙を袖にしぼりつつ)

九一 西郷隆盛(上衣はさもあらばあれ敷島の)

九二 勝安芳(国守る大臣は知るや知らざらむ)

九三 海上胤平(うとかりし老の耳にもこのごろの)

九四 与謝野寛(都鳥みやこのことは見て知らむ)

九五 福本日南(思ひきや日の入る国のはてに来て)

九六 八田岩馬(名のために佩けるにはあらじ我が太刀は)

九七 梶村文夫(名も初瀬いくさもこれが初めなり)

九八 庄司祐亮(しののめの空くれなゐに)

九九 高崎正風(御涙をのみて宣らししみことのり)

一〇〇 乃木希典(うつし世を神去りましし大君の)

愛国歌概説

後記

著 者 略 歴

川田順〈かわだ・じゅん〉歌人、実業家。1882年(明治15)東京・浅草に生まれる。父は漢学者・川田甕江。1907年(明治40)東京帝国大学法科を卒業し、住友総本社に入社。36年(昭和11)に筆頭重役で引退するまで実業界にあり、その間、歌人としても「新古今集」の研究家としても活躍。戦後は皇太子の作歌指導や歌会始選者を務めた。66年(昭和41)没す、寿84。歌集に『伎芸天』『山海経』『鷲』『国初聖蹟歌』『東帰』、研究書に『利玄と憲吉』『吉野朝の悲歌』『幕末愛国歌』『戦国時代和歌集』など。

土曜社 doyosha [at] gmail.com