「牢屋の生活ほどのうのうするところはない」

大震災以後、取引先や友人と会う頻度がぐっと減っています。

細かい数字が好きで、ずっと統計をとっているので歴然です。

 

ところが、そのぶん、読書にあてる時間が増えているか、と問われれば、そんなこともないのです。

 

ただ、騒ぐ心を鎮めて、本を開くことのできる時間が、いつもより貴重に感じます。

 

 

「いつも忙しい、そして多勢の人との交渉の多い生活をしている僕には、実際なんの心配もないたった一人きりの牢屋の生活ほどのうのうするところはないのだ。」(大杉栄『日本脱出記』より)

 

 

大杉栄は、38歳の短い生涯で、6度(国内5、国外1)にわたり入獄と出獄を繰り返しました。 

 

そして、「一犯一語」とうそぶきながら、監獄で次々と外国語を習得するわけです。

 

獄中の読書。

 

これが案外、極上の読書方法なのかもしれません。

 

 

さて、『日本脱出記』の制作が一段落して、気がついたことがあります。

 

それは、なにかに似ているぞ、という感覚です。

 

 

『ヨーロッパ退屈日記』と『日本脱出記』
『ヨーロッパ退屈日記』と『日本脱出記』

そう、

 

伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』(文藝春秋、1965年)。

20代のころの愛読本のひとつです。

 

いわれてみれば、デザイナーの本棚にもこの本がちゃんと納まっていました。

 

当代きってのスタイリストが渡欧して雑感を記したという点では、その成り立ちにも近いものがあるかもしません。

 

ただ、伊丹十三は、ヨーロッパの本格をもってきて日本の誤解をただすという文筆なのに対して、大杉栄は、ヨーロッパも日本も「悪いところばかりよく似る」という見方をしていて、好対照なのもおもしろい。

 

ぜひ読み比べてみてください。

 

 

◉大杉栄著『日本脱出記』発展読書|3冊

 

伊丹十三:『ヨーロッパ退屈日記』(文藝春秋、1965年)

大江健三郎:『日常生活の冒険』(文藝春秋、1964年)

ロバート・キャパ:『ちょっとピンぼけ』(川添浩史・井上清一訳、ダヴィッド社、1956年)