いきなり本の話です。
高津淳著『いそがなくたって、そこに本屋があるじゃないか』(サンブックス、2004年)。
この書名が喚起するイメージから話題をはじめさせてください。
長くなりそうですので、お急ぎの方は途中の文章をすっとばして、最後の写真だけご覧いただければ幸いです。
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本はなぜ売れるのか。
書籍販売を科学できないか——。さまざまな立場から、それこそ幾千の諸説が提出されてきた議論です。
いわく、
「魅惑的な装幀のせいだよ。」
「活字が魔力をもっているんだ。」
「コストパフォーマンスだよ、投資と同じでさ。」
「広告ありき、そもそも知られなけりゃはじまらない。」
などなど。
でも、結論は出ないことになっているのです。
「『変身譚』は、ピカソの古典主義的感興が最良の状態で発揮されていたにもかかわらず売れ行きは香ばしくなかった。しかしスキラは、愛書家という連中の気むずかしさを心得ていたので、大して気にもかけず、すぐに次の本の制作にとりかかった」(ブラッサイ著『語るピカソ』より)
ピカソの『変身譚(メタモルフォーシス)』ですら、販売は不振だったというんですね。
マルクスとエンゲルスの『資本論』も初版はわずか1,000部だったそうですから、なぜ本が売れるのか分からないのも道理、と開き直りたくもなるところです。
が、ここでは「街に本屋があるかぎり、われわれは本を買い続けるだろう」という独断のもと話を進めます。
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すると当然、書店でどうやって本を選ぶかということが次の話題になるわけです。
そして、書店との付き合いにも、さまざまな方法があるようです。
- 雑誌だけみる。
- 面陳されている本だけをひと通り眺める。
- 必要な書名をいきなり検索機でしらべる。
- 新聞書評の切り抜きをみせて、書店員にたずねる。
「必要な本がピカピカ光って、向こうから知らせてくる」と豪語する達人もいます。
いずれにせよ、書店で本を選ぶには、スタイルの確立が必要です。
なにしろ、積み上げれば毎日3メートルにおよぶ新刊(※)が出版される現在です。
書店で本を選ぶ力は一個の技術といえるかもしれません。
※年間図書刊行点数:74,714(2010年実績)
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少し脇道です。
似たような新譜の嵐という状況にあって、音楽業界では「全点面陳」という画期的なレコード店も編み出されました。
そう、渋谷は宇田川町のDMRこと、ダンスミュージックレコードです。
広い店内は、レコードがすべて面で陳列され、整然としています。
これも一つのありうる回答だと思います。
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毎日3メートルの新刊の嵐で、本が選べない。
選べないから書店にも行かない。
そして本は読まない。
人口が減るのに、減らない新刊点数。
残業が増えるのに、減らない新刊点数。
海外へ眼を向けると、英国では、年間10万点を超える新刊が出るそうです。英語で書かれた本は、世界中で販売できるという事情を勘案しても、驚くべき数字です。
返品増加による業界のコスト負担というダメージはあるにせよ、豊富な新刊で出版大国への道なかば——と、あえて瘦我慢説を唱えてみたい気もします。
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くだくだと述べてきました。
お伝えしたかったのは、この年間7万におよぶ新刊の山から『日本脱出記』を選び出し、店頭に展開してくれている全国117の書店に感謝してもしきれないということ。
これです。
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膨大な出版流通をくぐり抜けて、『日本脱出記』はいま、書店に並んでいます。
読書するわれわれも、忙しい毎日で、なかなか書店に出向く時間を確保するのが困難です。
このダブルハンデを乗り越えて、しかるべき若干名の読み手が、各地の書店で『日本脱出記』を発見してくれるにちがいない。
微かな確率に、じっと期待を寄せているしだいです。
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おかげさまで、一部の書店では売れはじめています。
奇跡の出会いを演出してくれている書店の図を下記に一挙掲載します。