毎日なにか新しいことをひとつやってみよう。
というわけで、きょうは当ブログを2回更新してみます。
はじめての試みです。
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実は、もうひとつ新しいことが、1時間のちの17時にせまっています。
はじめて雑誌の取材を受けることになり、記者の来訪を待っているのです。
人に接するときは、ありのまま。
むしろ自分にとって不利なこともさらけだすというスタイルですから、取材といっても、なにも準備は要りません。
要は、どれだけ正直でいられるか。
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ただ、正直でいても、記憶ちがいで事実に反するということが多々ありますから、この場をかりて、思い出を温めなおしてみたいとおもいます。
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2010年
8月 当時勤務していた財閥系生命保険会社に内緒で編集した本が出版される(日暮泰文『のめりこみ音楽起業』)。対シンガポールの貿易事業を手伝うよう、ある広告会社の部長から誘われ無給ではたらく。部長の「成功哲学」の個人講義を受ける。給料がなくても、元気にはたらくことができるという新発見。
9月 上記の『のめりこみ音楽起業』が日経新聞の文化欄に大きく取り上げられる。掲載紙をてこに、両親に独立創業の意志をつたえる。勤務先に退職願。同じく勤務先の出版社とそりがあわなくなっていた編集Kくんと気脈を通じ、2人で創業という線で進める。
10月 創業記念レセプション。多くの方々から門出を祝福されるが、1冊の本の企画もない。編集Kくんの連絡が滞る。彼の話に耳をかたむけず、自分勝手なスケジュールで進めてしまった報いか。
11月 渋谷・円山町「本の祭典」。イベントは成功を見るが、肝心の本の企画はまだ無い。ヴェトナム政府専売塩をめぐる各種制作の仕事が舞いこむ。着手金の数十万円が、はじめての売上金。
12月 見城徹さんの本に、「角川書店を辞めた年の11月12日に会社を設立登記し、まもなく、年末の12月28日から年を跨いで翌1月7日まで、誰もいない雑居ビルのオフィスで、40~50人のクリエイターたちに毎日手紙を書いていた。」(『異端者の快楽』)という記載をみつけ、最優先すべきは作家に手紙を書くことじゃないかという強迫観念にとりつかれる。設立登記すらしていない状態。個人商店・土曜社。フランス学生・シャルリ君をホームステイさせる。これがきっかけで自炊を開始、生活費がぐっと下がる。これでしばらく本を出さなくてもやっていける。大杉栄の実弟のご子息である、大杉豊さんに手紙を出す。
2011年
1月 年末にはじめた自炊のおかげか、心が安定している。玄米食。長生きしたら勝ちという家康さながらの心境。
2月 第一弾『日本脱出記』の制作。復刻刊行ということで甘くみたのがまちがい。それ以上に、自分の力不足を知る。装丁をたのんだ弟と合宿して乗り切る。
3月 『日本脱出記』を印刷入稿した直後に震災。紙の手配もままならず、月内の発売を断念する。あらゆる自粛ムードのなか、書店に新刊案内を送ることさえはばかられる。フランス文学のアンソロジー企画を途中で投げ出す。ぜんぶ自分の思い通りにしないと気がすまない。
4月 『日本脱出記』発売。より廉価な岩波文庫版が店頭に残るなか、まったく売れない事態も覚悟する。発売から1週間たち、まず小石川のあゆみBOOKSから補充注文。ほかにも続々と各地の書店から注文が入る。スーツケースを購入、これで100冊を持ち運んで直納して歩きまわる。トークが下手なぶん、汗をかく。
5月 一日10件強の書店をたずねて歩く。本が売れていれば、どこにでも顔を出しやすい。
6月 『日本脱出記』の書評が各紙誌に出る。そのつどブログで詳報し、書店にはファクシミリで報告する。
7月 文芸誌の「新潮」から原稿を頼まれる。嬉しい半面、まったく自信もてず。よしんば自分に書けなければ、作家志望の友人をたよろうという心で引き受ける。
8月 「新潮」に「出シュッパン記」が掲載される。友人のイベントで喧嘩。へたに安請け合いすることを反省。やはりぜんぶ自分でやるのがいい。『日本脱出記』が「NHK週刊ブックレビュー」で好評、電話が鳴りやまない一日を経験する。この勢いを逃すまじと、急遽、第二弾を『大杉栄自叙伝』と決め、制作にとりかかる。本を読むにせよ、つくるにせよ、以後夏は避けようと心に誓う。
9月 第二弾『自叙伝』発売。過度な期待をのせて出版。『蟹工船』の40万部を参考にと大言するが、40万といっておけば、10分の1くらいの数万部は行くだろうと算段する。