おはようございます。
ずいぶんとご無沙汰してしまいましたが、お変わりないでしょうか。
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土曜社の近況を報告しますと、6月に『リガ案内』を出し、8月に『混乱の本質』が、さらに同月には『Practice for a Revolution』を発売しました。
同じく8月には、坂口恭平リサイタルを大がかりにおこない、直後に坂口さんは欧州へ旅立ち、土曜社の夏もそれで終わったようになって、11月まで来てしまいました。
「このままではいかん」と、この間、なんども再起動をこころみながら、なんとなく、いまは我慢の時と決めこんでしまい、極力判断することを避け、現状を維持しながらやってきました。
兵法でいうなら、兵力の温存という図になりますが、いかんせん受け身に立ち、勢力がそがれたことは否めません。
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じっとしながら何をしていたかとふりかえれば、過去の日報をおさらいして、読書録を整とんし、売掛金の皮算用をおこなう、そんなことを細々と続ける毎日です。
収支のバランスをとることが精神には欠かせませんから、スターバックスに入るのもやめ、一駅くらいなら歩いて移動するようなことで、そんな工夫もやりはじめると楽しくできてしまう――便利な性分です。
「大杉の方は、いっこうに貧乏らしくなく貧乏している人だった。」
というのは、山川均の大杉栄評ですが、そんなふうに貧乏したいなとあこがれてみたり、のんきなものではあります。
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さて、そんなこんなで前後の脈略がないようですが、葉山に一部屋をかりることにしました。
思いつきの当初は、逗子に小さな部屋をかりて大杉栄を気どるつもりでした。
大杉豊さんの労作『日録・大杉栄伝』によると、大杉には、沖縄の同志といっしょになって、逗子海岸にアイスクリームの売店を出して、大いに稼ごうという計画があったそうです。
アイスクリーム製造機も買い入れ、春から客が来るともてなしては練習を積んでいたというから、あんがい本気です。
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結局、少し南にはずれて葉山におちつきました。
大杉栄が執筆のたびに逗留した老舗旅館の日陰茶屋(いまは日影茶屋と名をかえ、和食からフレンチまで葉山町内で数店を展開しています)も近所の二階屋です。
代官山の部屋はこれまで通り平日の拠点として残しつつ、週末はおもに葉山ですごすような生活をはじめています。
海がみたくなったら、電話ください。