東京堂書店のひとり出版社

神保町の東京堂書店で、「ひとり出版社」フェアが始まっています。

 

分業・専門化を進めてきた人類のいとなみに照らせば、歴史に逆行するともいえる「ひとり出版社」という行き方。その軽さ、危うさも踏まえつつ、各社が自社のなりたちにかかわる十数冊を選書するという趣向です。

 

神保町で御用のさい、お立ち寄りいただければ幸いです。

 

ちなみに弊社は、次の12冊を選びました。

 

  • 日暮泰文『のめりこみ音楽起業』

新卒で出版業界に入り、2社目に勤務した出版社、ブルース・インターアクションズ(現スペースシャワーブックス)創業者・日暮泰文氏の本。土曜社創業後もせっせと業務日報を日暮氏のご自宅メールアドレスに送り続け、孤独を避けつつ、一兵卒の気分を保つ。いわば無償の監査役を引き受けてもらったようなもの。同時に、自分が突然いなくなったときも得意先に迷惑をかけぬよう、内装の仕事をする弟を仮の後継者ときめ、彼にも日報を送りつけ、業務の継続性をはかる。

  

  • 大江健三郎『日常生活の冒険』 

20代のとき、悪友たち数名に本書を配布・一読をすすめた。伊丹十三がモデルとされる主人公・斎木犀吉のイメージは、のちに坂口恭平のCDと本の出版につながる。また、刊行開始したばかりの「マヤコフスキー叢書」も、本書がネタ元。「元気だ、ギリシャの難破船の船長の話をきいたんだが、かれは航海日誌の最後にこう走り書きして死んでいた。イマ自分ハ自分ヲマッタク信頼シテイル、コウイウ気分デ嵐ト戦ウノハ愉快ダ。(略)それじゃ、さよなら、ともかく全力疾走、そしてジャンプだ、錘のような恐怖心からのがれて!」(斎木犀吉)

  

  • 津田大介、牧村憲一『未来型サバイバル音楽論』

「ここで確認をしておきましょう。実は、「一人1レーベル」というのは、ある種口当たりのいい標語であって、ここで目指そうとしているのは本当は一人ではダメなのです。一人で作って、一人で満足して、一人で拍手する音楽ほど寂しいことはありません。(略)社会に出て行くのは、一人では限界がありますから、最低限二人で始めることをお勧めします」という本書の記述に同意しつつも、土曜社はあくまで一人でゆく。音楽と異なり、読書には拍手喝采やコール&レスポンス、かけ声なども無用で、同時代や同世代という敷居もなく、ソーシャルメディアのように共感を強要されることもない。それぞれが思い思いに、好きな本を勝手気ままに読めばよいのだから。

  

  • 宮崎駿『出発点 1979~1996』

「仕事にかまけて、いつまでも同じ日々が続くものと、傲慢に思い込んでいた取り返しのつかない夏のしるしであった」(本書より)。創業4年目で、早や慢心が出たのやら、この先も単調で平坦な道が続いていくような気がしてならない。いつか振り返ったときに、どれほど懐かしく、取り返しのつかないような気分になるのか、楽しみなような、恐ろしいような、そんな気もする。これから仕事を始める若い人に一読をすすめたい。

  

  • 伊達得夫『詩人たち・ユリイカ抄』

いまや燦然と輝く詩人たちの処女詩集をあまた世に出した伝説の出版社、書肆ユリイカ。その内実は、伊達得夫という42歳で夭逝する男が一人で切り盛りしていたという。「マヤコフスキー叢書」の訳者、小笠原豊樹さん(詩人の岩田宏と同一人物)や序文を寄せてくれた入沢康夫さんには、いつもどこかに故・伊達得夫氏への想いがあるようだ。余談だが、伊達得夫氏には二人の娘があり、詩人たちはこの娘たちに会うことを伊達家を訪れる楽しみの一つにしていたという。二人の娘はのちに成人し、父と同じく出版業界に身をおいていると聞く。

  

  • 浅羽通明『アナーキズム 名著でたどる日本思想入門』 

「おれはこの頃、アナキストなんだ。政府なんて、いらんと考えているんだ。全部、商人に任せればいいんですよ。」(太宰治の言葉、本書より)。2001年に大学を出ると、そのまま母校の大学出版部に就職。営利と学術を天秤にかけて働く世界に身をおきつつ、柄谷行人のNAM(New Associationist Movement)にあこがれる日々。本書が出たのは、2004年。そのころNAMウェブサイトは、韓国系ポルノ画像が貼りつけられ、見るも無残なすがたになっていた。NAMなきあと、歴史をさかのぼり、大杉栄を読み始める。アナキストたるよりも、商人たらんと欲す。

  

  • 大杉豊『日録・大杉栄伝』

軍部によって根絶やしにされたと勝手に思い込んでいた大杉栄の血族につらなる人物――栄実弟の次男として生まれた大杉豊氏でしかなしえなかった大杉栄38年の人生クロニクル。大杉が同志たちと逗子の海岸で海の家をやり、アイスクリームを売りまくることを画策するくだりなど、痛快なエピソードのかずかず。

  

  • 梅棹忠夫『知的生産の技術』

「自分の交友範囲のアドレス・カード群をつねに整備しているというのは、現代人の一つの基礎的教養ではないかとさえ、わたしはかんがえているのである」(本書より)。仕事なんてものは、わざわざ社員の勤怠を管理したり、社屋を構えたりせずとも、一個人の読書歴と交友範囲とを一目瞭然のもとにかけあわせれば、いくらでも走りだすことができるにちがいない。最初勤めた母校の大学出版部では、作家の坂上弘氏が文人社長として経営にあたり、新入社員はときおり食事をごちそうになるならわしだったが、そこでいわれたのはファイリング=整理術の重要さについてだったことを思い出す。

   

  • 福澤諭吉『福翁自伝』

「一国の独立は国民の独立心から湧いて出ることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性ではとても国が持てない、出来ることか出来ないことかソンナことに躊躇せず、自分がその手本になってみようと思い付き、人間万事無頓着と覚悟をきめて、ただ独立独歩と安心决定したから、政府に依りすがる気もない、役人たちに頼む気もない。貧乏すれば金を使わない、金が出来れば自分の勝手に使う」(本書より)。創業後、自分の「年収」が24万円とか36万円という年が続き、新しい本も買えず、会食も断わり、いつも同じ服を着て、貧乏してきた。貧乏は外に出したくないものだが、「食えないでしょう」と図書新聞の井出社長に図星を当てられたときは、なぜかホッとした。病名を知って安堵するという病人の心境もかくや。貧乏もまた個人の勝手である、という本書の記述を胸に秘める。

  

  • ジャック・アタリ『21世紀の歴史』

「中間層は倹約して貯蓄に勤しんだ。そこで消費するように仕向ける職業である銀行、保険、広告、マーケティング、メディアといった職業の数が増えた」(本書より)。いまをときめく花形の職業に対し反発する気分がある。図書出版という伝統的な業態をかりつつ、土曜社は、消費を思いとどまらせるということを仕事にしてみたい。消費のかわりにくるものは何か。答えはまだないが、思い出や懐かしさのような気がしている。アタリによると、読書にはすばらしい未来が待っている。なぜなら、「近い将来、すべての人間が文字を読むことができるようになり、無数の本が出回るようになるだろう」から(『いま、目の前で起きていることの意味について』)。

  

  • 加藤周一『読書術』

新人として勤務した慶應義塾大学出版会は、稼働数700点余、毎年の新刊100点に迫る老舗だった。自社本全部を読み尽さないかぎり、書店に対し、ひいては読者に対して自分の立つ瀬はないように感じた。青年らしさを色濃く残した23歳のことである。出版社の一員たるもの、主要文芸誌を毎月購読し、併せて現代思想もひとさらい目を通しておかなくてはならない。こりゃ忙しいぞ、と意気込んだ。しかし、本書にもあるように、「面白そうな本を読みつくすことは誰にもできない」のであり、もとより難解な思想をこねるようにはできていない頭に無理がたたったのだろう、4年足らずで息切れし、退職のやむなきにいたる。膨大な過去の書物群を前にして気負い立つ若者たちへ、「自分のわからない本はいっさい読まない」という本書の言葉をおくりたい。

  

  • 勝小吉『夢酔独言』

わが国自伝文学の三指といえば、『福翁自伝』『大杉栄自叙伝』、そして本書を挙げたい。異論はあろうが、すくなくとも自分にはこの三冊をおいてほかにない。「十四の年、おれが思うには、男は何をしても一生食えるんだから、何も祖母どのの意地悪をこらえて勝家にいることもあるめえ、上方あたりへ駆け落ちをして、一生あちらで暮らそうと考えてな。五月の二十八日に、股引をはいて簡単な旅支度で家を出た」(本書より)。芥川龍之介の「唯ぼんやりした不安」から一世紀足らず、ここ十年ほどは「曖昧な不安」なんてことがいわれた。いま思うに筋のわるい議論だったにちがいない。元来男子たるもの、貧乏しようが、仕事がにがかろうが、顔がまずかろうが、何をしても一生食うことはできるんだから……。この前提のもと、あれやこれやと画策したい。