71|酒井抱一『光琳百図』
琳派芸術を伝える全四巻
日本史上初の個人画集
尾形光琳の自由でのびやかな画風につよく惹かれてやまなかった江戸の絵師・酒井抱一は、文化12(1815)年6月2日、光琳の百回忌に合わせて遺墨展を催すと、絵を集めるにつれ写しあげ、とうとう百点の絵書を描きあげた。私家版展覧図録として少部数が配布され、のちに後編が刊行された『光琳百図』は、やがて人々の間にひろく光琳を知らしめ、海を越えジャポニズムの旋風を巻き起こしてゆく。出会うことのなかった人と人との私淑と出版をつうじて継がれていった琳派芸術のあり方を物語る、日本史上初の個人画集。全四巻。
- 書 名:光琳百図
- 著 者:酒井抱一
- 絵 師:尾形光琳
- 仕 様:B5変判(257 × 168 × 2.5ミリ)|糸ミシン綴
- 上 巻:32頁|978-4-907511-78-4|2020年7月3日発行
- 下 巻:36頁|978-4-907511-84-5|2020年11月10日発行
- 後編上巻:40頁|978-4-907511-85-2|2021年2月10日発行
- 後編下巻:36頁|978-4-907511-86-9|2021年2月10日発行
讃 辞
ああ、上人が成し遂げたこの仕事は、上人が光琳をいかに深く敬ってきたかを知るに十分である。もし今は亡き光琳がこれを知ったならば、光琳は抱一上人をいつも理解しあえる親友としたことであろう。
亀田鵬斎(前編序文)
(小野村博訳、中國古典學會『中國古典研究』「『光琳百図序』訳注」より)
著 者 略 歴
酒井抱一〈さかい・ほういつ〉江戸時代後期の絵師・俳人。1761年、姫路藩主酒井忠仰の次男として江戸に生まれる。若い頃から大名仲間と遊廓に通って文人墨客と交わり、狩野派や浮世絵師に絵の手ほどきを受ける。37歳で出家すると武家の身分から完全に解放され、文芸に専念。下谷根岸の里に雨華庵を営み、市井にて後世を歩む。自由な意思で絵を描く尾形光琳の画風に惹かれて私淑、研究し、1815年、光琳百回忌の法要と遺墨展を企画開催。展覧図録として『光琳百図』を刊行。 江戸琳派の祖となる。21年、一橋治済からの依頼により光琳の《風神雷神図屏風》の裏面に《夏秋草図屏風》を制作。29年没。享年68歳。
絵 師 略 歴
尾形光琳〈おがた・こうりん〉江戸時代中期の絵師・工芸家。1658年、京都の裕福な呉服商雁金屋、尾形宗謙の次男として生まれる。幼い頃から呉服文様に親しみ、また狩野派に学ぶ。30歳のとき父が死去し、遺産のほぼ半分を譲渡されたが放蕩生活のうちに使い果たし、経済的困窮から40歳をまえに画業で生計を立てていくことを決意する。その後の絵師としての活躍はめまぐるしく、44歳のとき法橋の位を得る。俵屋宗達に影響を受け、装飾性にとむ独自の大和絵画風を確立。のち琳派とよばれる。1716年没。享年59歳。
立ち読み
『光琳百図』取扱店
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